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一ニ三四五六七八九十 布留部 由良由良止 布留部
(ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここの、たり、ふるべゆらゆらとふるべ)
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ここでは柿本人麻呂さんと
十種神宝祝詞に出てくる石上神宮の布留部由良由良との繋がりについて
書いていきたいと思います。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~izanami/coramu1/isonokamichinkon.html
石上神宮・特殊神事「鎮魂祭」レポートより
2007年11月22日の鎮魂祭の様子が詳しく掲載されています
↑石上神宮の鳥居をはいる手前真横(左)に 下記の柿本人麻呂さんの歌碑があるのですが
和歌の内容はこのようになっています。
「未通女等之 袖振山乃 水垣之 久時従 憶寸吾者」
(おとめらが そでふるやまの みずがきの ひさしきときゆ おもいきわれは)
[未通女等が 袖布留山の 端垣の 久しき時ゆ 思いきわれは] 万葉集 柿本人麿 4-501
(解説)
「乙女等が袖を振る」は、布留山に掛かる、一種の枕詞。
(乙女等が袖を振るのは好きな人の魂を呼ぶ呪術的行為)
『布留山(石上神宮の神山)に瑞垣(禁足地の垣)が出来た昔から
あなたのことを思っていました。』など
着物の袖を振る行為は、践祚大嘗祭に必須と言われる
大麻の天の羽衣(鹿服・あらたえ)を思い出しますね^^
践祚大嘗祭と鹿服についてはこちらになります。
http://rainbow-of-heart.jimdo.com/神宮-大麻のお話/
(繋がらない場合はトップからお入りください)
柿本人麻呂さんは、「かきのもと」という言霊もあり
神域・宮殿・殯宮(あらきのみや:もがりをする宮)・古墳等の瑞垣を守ることを職掌としていた可能性を指摘されることがあるそうです。和歌で大切なものをメッセージして残してくださったのだなとよく感じます◎^^◎
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他にはこのような使われかたもありますね・・・^^
袖振り合うも多生の縁
【意味】 |
袖振り合うも多生の縁とは、知らない人とたまたま道で袖が触れ合うようなちょっとしたことも、前世からの深い因縁であるということ。
こんなのもあります 良寛さんの自筆歌集・『布留散東(ふるさと)』
「故郷」と「布留」が関係しているのかな?と思うような歌集名ですね~~^^
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そして時を越えて布留部由良由良の鎮魂術の流れは
現代曲として用いられ柿本人麻呂さんの和歌が使われています。
楽譜の歌詞には、古代日本(万葉集)と西洋のミサ(聖書)が混ざり
下記のYouTube映像はなんとも言えない感動があります。そして振る袖もでてきます^^
混声合唱のための「レクイエム」
http://www.panamusica.co.jp/ja/product/8178/
柿本人麻呂の歌をはじめとするわが国の古代歌謡から、亡き人を偲ぶ歌、離別の悲しみの歌、辞世歌、鎮魂歌などをテキストとして採用し、そこにラテン語のレクイエム詞文を織り込んだ作曲者が思い描く「日本的なレクイエム」です。宗教や時代にとらわれない普遍的な悲しみや祈りが込められています。作詞・柿本人麻呂
阪神大震災10年目の追悼として2005年1月神戸中央合唱団による委嘱初演。テキストは日本の古代歌謡を主にラテン語のミサ典礼文がわずかに用いられており、作曲者の想い描いた日本的レクイエムです。人間の深い悲しみに秘めた神秘的な情感を、一音一音に注がれたその響きは、ふたたび命を灯すような温かみを感じます。「この曲がわたしたちと、わたしたちを取り巻く森羅万象の交感の中に響く、魂の賛歌となることを願っている。」──千原英喜。
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柿本人麻呂さんといえば、七夕の和歌を一番多く詠まれていると聞いたことがあります。
今日は「天」にまつわるものを沢山転載します。ロマンティックというかスピリチュアルというか
星や月のきらめき、川の透明度、景色の美しさや、恋人、家族、兄弟関係など
いまとは全違ったのだろうなあ。。と
和歌から感じます^^
天の川楫の音聞ゆ彦星と織女と今夕あふらしも
夕星も通ふ天道をいつまでか仰ぎて待たむ月人壯子
去年見てし秋の月夜は照らせれど相見し妹はいや年離る
東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ
一年に七夕のみあふ人の戀も過ぎねば夜はふけゆくも
天雲に翼うちつけて飛ぶたづのたづたづしかも君いまさねば
若月の清にも見えず雲隱り見まくぞほしきうたてこのころ
ひさかたの天光る月の隱りなば何になぞへて妹をしのばむ
吾妹子し吾を思はばまそ鏡照り出づる月の影に見え來ね
山のはにさし出づる月のはつはつに妹をぞ見つる戀しきまでに
遠妻のふりさけ見つつ偲ぶらむこの月の面に雲なたなびき
天雲の依り合ひ遠みあはずとも異手枕を吾まかめやも
雲間よりさ渡る月のおほほしく相見し子らを見むよしもがも
月見れば國は同じを山隔り愛し妹は隔りたるかも
天地といふ名の絶えてあらばこそ汝と吾とあふこと止まめ
ふる雪の空に消ぬべく戀ふれどもあふよしなくて月ぞ経にける
天の川安の川原に定まりて神競は時待たなくに
秋されば川ぞ霧らへる天の川河に向ひゐて戀ふる夜多し
萬世に照るべき月も雲隱り苦しきものぞ逢はむと思へど
天の川去歳の渡りで遷ろへば川瀬をふむに夜ぞふけにける
古ゆ擧げてし機も顧みず天の川津に年ぞ経にける
天の川夜船をこぎて明けぬともあはむと思ふ夜袖かへずあらむ
吾背子にうら戀ひをれば天の川夜船こぎ動む楫の音聞ゆ
天の川水陰草の秋風になびかふ見れば時は來にけり
彦星は嘆かす妻に言だにも告りにぞ來つる見れば苦しみ
天の川水さへに照る舟競ひ舟こぐ人は妹とみえきや
ひさかたの天の川原にぬえ鳥のうら歎けましつともしきまでに
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~他にも柿本人麻呂さんと万葉歌碑のことではかなり不思議な導きや、発見があったのですが
地元交野が原の天の川、七夕、北斗七星等、地元のことをまとめるときに改めて書きたいと思います^^