2016年8月26日スタートで日々更新していきます^^

1、天羽羽矢(麻の弓弦)

 

{天羽羽矢(あめのはばや)}

二ニギ尊とニギハヤヒ尊の子孫が「天孫の印」としてお互いに見せ合った弓矢。

天孫の印はもうひとつあり、それは歩靫(かちゆき)といって矢を納める細長い筒でした

 

 

前から不思議に思うのは★天孫の印★といえば、三種神器を思いうかべそうなものですが

なぜか、弓矢なのです。。。なぜでしょう?アークでしょうか?(笑)

それとも黙示録に出てくる二つの杖でしょうか?(笑)と、それは冗談ですが

とても大切な鍵だと思い、気づけば弓矢の絵を描くようになりました・・・^^

❊一番右は、内表紙のモノクロのものが私のイラストで、麻炭クレヨン画です。

 

 

 

 

 

天羽羽矢の中に響く(はは)の言葉は{蛇}を意味する、また物部氏のシンボル=蛇ともいいますが、わたしが弓矢から連想するのは・・・・・

①下鴨神社の御手洗川の伝承。

②邪気を祓う弦鳴神事

➂金鵄伝承と天羽羽矢

琴、梓弓、竪琴、航海時の占卜です。

⑤三ツ矢の卜占

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①下鴨神社の御手洗川に流れてくる弓矢

賀茂御祖神社(下鴨神社)  

には玉依姫命は賀茂氏の祖神賀茂建角身命の子で、瀬見の小川(賀茂川)の川上から流れてきた丹塗り(にぬり)の矢によって身ごもり、別雷神を生んだという伝説があります。詳細は原文ですが下記になります。

 

http://www.shimogamo-jinja.or.jp/

より引用しています。

【玉依媛命・丹塗の矢伝承】
『続日本紀』風土記逸文 山城國 賀茂社山城の國の風土記に曰はく、可茂の社。可茂と稱ふは、日向の曾の峯に天降りましし神、賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)、神倭石余比古(かむやまといはれひこ)の御前に立ちまして、山代河の随(まにま)に下りまして、葛野河と賀茂河との合ふ所に至りまし、賀茂川を見迎(みはる)かして、言(の)りたまひしく、「狭小くあれども、石川の清川なり」とのりたまひき。仍りて、名づけて石川の瀬見の小川と曰ふ。彼の川より上りまして、久我の國の北の山基(やまもと)に定(しづ)まりましき。爾(そ)の時より、名づけて賀茂と曰ふ。
賀茂建角身命、丹波の國の神野の神伊可古夜日女にみ娶(あ)ひて生みませるみ子、名を玉依日子と曰ひ、次を玉依日賣と曰ふ。玉依日賣、石川の瀬見の小川に川遊びせし時、丹塗矢、川上より流れ下りき。乃(すなは)ち取りて、床の邊に插し置き、遂に孕みて男子を生みき。人と成る時に至りて、外祖父(おほぢ)、建角身命、八尋屋を造り、八戸(やと)の扉を堅(た)て、八腹の酒を醸(か)みて、神集へ集へて、七日七夜楽遊したまひて、然して子と語らひて言(の)りたまひしく、「汝の父と思はむ人に此の酒を飲ましめよ」とのりたまへば、やがて酒杯(さかずき)を挙(ささ)げて、天(さき)に向きて祭らむと為(おも)ひ、屋の甍を分け穿(うが)ちて天に升(のぼ)りき。乃ち、外祖父のみ名に因りて、可茂別雷命(かもわけいかつちのみこと)と號(なづ)く。謂はゆる丹塗矢は、乙訓の郡の社に坐せる火雷神(ほのいかつちのかみ)なり。可茂建角身命、丹波の伊可古夜日賣、玉依日賣、三柱の神は、蓼倉の里の三井の社に坐す。 伴信友『瀬見小河』二之巻 丹塗神矢の事丹塗矢云々、逐感孕生男子とある丹塗矢は、大仙咋神の玉依日賣に婚(アヒ)給はむ料(タメ)に、神霊を憑給へる物實なり、其は古事記に大仙咋神、亦名山末之大主神、此神者坐近淡海之日枝山、亦坐葛野之松尾用鳴鏑神者也、(用字は桁字としてよむべからず、其説は下に云ふべし)と見えて、此鳴鏑神者とは、かの云々の時の鳴鏑の神矢なり、其を大仙咋神の霊形として松尾に祀れる由を、因にここに挙げたるなり、(但し玉依日賣に婚給へる事を語はで、ただ鳴鏑神者也とあるは、うちつけなるここちす、もしくは阿禮か遺れて誦み脱せる事のありしにてやあらむ、)

 

 

 

②鳴弓神事

源氏物語にも登場し、平安時代から宮中儀式などでは、邪気払いなどを目的とした鳴弦の儀は、僧侶、巫女、または祈祷師によって行われていたようです。詳しいサイトがあるので添付します。http://toyomeigenkai.yu-yake.com/chigai.html

以下面白い文章を転載します。

 

●鳴弦と弓矢の決定的な違い。

それは、鳴弦に於いては、弓矢を射る仕草をするにも関わらず、実際に矢を放つことはしません。鳴弦と弓矢では同じ弓を使用することに変わりはありませんが、その目的は全く異なります。鳴弦の目的は、弓を鳴らして、魔除けをおこなうおまじないです。宮中に於いて、様々な場面に於いて、鳴弦の儀は行われて来ました。一方弓矢は、一般的に弓道と呼ばれる場合もあり、この場合は体育大会に於いては一つのスポーツと捉えられており、実際に矢を放つものです。

 

●鳴弦とは。 

鳴弦とは、弓道に於いて、矢をつがえていない弓を強く鳴らして行うおまじないの一種です。主に邪気を払うことを目的として行われるようで、別名「弓打ち」とも呼ばれているようです。

 古代に於いては、天皇の入浴時や、貴婦人の主産時などに於いて、邪気を払う儀式として行われていたようです。また、化学が発達していない時代に於いては、物の怪や憑き物を落とす目的で「鳴弦の儀」が存在していました。主君の病気払いや不吉な出来事が起こった際にも行われていたことから、つまり、悪魔払い的な意味合いもあるということですね。

  鳴弦は、平安時代が起源と言われていますが、現代に於いても皇室では出産後、産湯につかられる際に実施されているようで、伝統的に受け継がれているようです。

  これはあまり知られていないことのようですが、皇室に留まらず、全国各地の神社などに於いて「鳴弦の儀」の伝統は受け継がれており、折々でこの儀式が取り行われていてるようです

 

以下は映像になります。

 

http://http//homepage2.nifty.com/allsuwa/7-Kamisha/maturi/1-3/ta_asobi.htm

●こちらは諏訪大社のホーム―ページより、蟇目鳴弦(ひきめめいげん)の儀が掲載されています。

 

こちらのサイトが音の響きに関して面白い話を書かれています。よくみるとかなりマニアック!

http://www.monster-sound.com/s/koepie/060203.htm

 音には底知れぬエネルギーがある。
それはただの振動エネルギーではなく、精神や気に作用するエネルギーである。

(響鬼さんサイトをお借りしました)

 

私もこれには非常に共感で、陰陽師や言霊師?の力の神秘というか

使い方によってはちょっと怖いですが・・・・・

音の力は色々秘めていて凄いなあ。。心身調整、小宇宙。大宇宙共に調整に

つかえるのだろうな。。といつも感じます。

 

ただし本当に究極というか、扱う人のスピリットにかかってくるので

科学と精神のバランスというか健全な両輪が大事というか。。

どんな分野でも悪用されるくらいなら封印も時には大事ですよね。。

 

 

➂金鵄伝承と天羽羽矢

初代・神武天皇が宿敵・長脛彦(ながすねひこ)と戦ってピンチに陥ったときに天空から鵄が舞い降りてきて、弓矢の先に止まり金色に輝きました、これを金鵄といこの光をきっかけに神武天皇は戦に勝つことができました。この時の弓矢は天羽羽矢だと思うのですがニギハヤヒ墳墓に埋まっている伝承が生駒の白庭にはあります。✳伝承地域は諸説あります

 

■■■■ 饒速日命墳墓 ■■■■

天祖、天爾瑞宝十種を饒速日命に授く、命は天祖の詔をうけて、天孫瓊々杵尊より先に河内の哮峰(たけるがみね)に降臨され、鳥見白庭に遷り、土酋の長髄彦におされて、其妹、登美弥比女(一名御炊屋姫)を妻り、味間治命(宇麻志麻治命)を生み、薨じ給うに及び夢のおつげにより、其遺物の羽々弓・羽々矢と神衣帯手貫(かむみそ、おびだまき)の三物をこの墓に埋めて弓塚とした。

 

 高皇産霊尊、哀泣とおぼして、すなはち速飄命を使て以命て天ひきいて上り、その神の屍骸を日七、夜七もて遊楽哀泣哭して天上に歛意ぬ。饒速日尊、夢をもて妻・御炊屋姫に教えて云く、「汝の子(宇摩志麻治命のこと)、吾が如く形見の物とせよ」と、すなはち天璽瑞宝を授く。また、天の羽弓矢、羽々矢複、神衣帯手貫の三つの物を登美の白庭邑に葬歛て、これをもて墓者と為す。

先代旧事本紀

http://park.publicmap.jp/spot/65950

(生駒総合公園の地図) 

 

http://www.geocities.jp/marebit/nigi.html

ニギハヤヒの墳墓への詳しいルートが掲載されているサイトです

総合公園のテニスコートの裏を通って。。というコースで私はニギハヤヒのお墓参りを幾度となくさせて頂いています。本当にずっとお世話になっているサイトです。

                金鵄伝承の有名なシーンの絵

④琴、梓弓、竪琴、イタコ、航海時の占卜

弓矢の弓弦がとても重要に感じています。鳴弦神事にも通じますが、糸の振動による調整。

そしてこれは素材が{大麻}ときいています。弓道を調べるとわかるのですが、古来~基本はやはり必ず大麻の糸になります。弓道の糸が切れたときはまた丁寧に修正して再利用している話も読んだことがあります。

http://www.koyama-kyugu.com/archive/c009.php

(小山弓具さんより)

和弓の弦の原料として、昔から主に麻繊維が用いられてきました。麻は大麻の原料になることから、その栽培は法律により規制されているため希少なものになっています。また、麻弦は作業工程が多く、製造には非常に高度な技術が必要であるため高価であり、扱いにも気を使わなくてはなりません。現代では麻の代用品として、ケブラー繊維などの合成繊維も用いられるようになりました。

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弓弦を(七つ?)横に並べて弦を枝で叩く。。。という神事がイタコの神おろしの手法のように聞いたことがあり、それについても改めて調べて転載したいと思います。

http://www.minpaku.ac.jp/museum/enews/069otakara

(国立民族博物館より)

●梓弓
古代より霊を招くために使われた巫具の一つである。梓弓は梓巫女(東北地方等に分布する巫女)が使用したことから付けられた名前である。カバノキ科の落葉高木の「梓」の木で作られた丸木の弓である。弓の端を結ぶ弦には麻糸や樹皮を使用、音を出すためには細い竹の棒を使用する。イタコは一心不乱になり竹の棒で弦をたたき、ビュンビュン音を出して霊などを梓弓に宿らせ、次にイタコ自身の体に憑依させて入神状態になるための橋渡しの役目をはたしている。主に津軽地方のイタコが使用していた。現在は、その姿はほとんど見る事はない。

 

●イラタカ数珠
伊良太加、苛高、最多角、刺高と呼ばれる。イタコの場合、3百余りの黒いムクロジの木の実をつなぎ合わせた長い数珠で、両側には雌雄の鹿の角、猪の牙、熊の爪、鷹の爪、狐の顎骨、狼等の野獣の骨がついている。また、天保銭・小銭・剣等が装飾されている。これらの物には憑き物のお祓い、悪魔祓い、虫封じ、魔除け、身体のおまじないの意味がある。必要に応じて単品で使用する場合がある。数珠全体を全身にも使用する。イタコの場合は修験道と同じように、読経や祈祷・口よせの際は両手で激しく上下にすり合わせる。高い音を出す。そしてその響きに神仏を乗り移す。

大森康宏(民族文化研究部教授)

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http://www.flet.keio.ac.jp/~shnomura/2002/kuchiyose.html

(巫女が語る「目連救母伝説」より)

大和宗の管轄内である岩手県陸前高田市の広田町のオカミサンは、桃はあの世へ行くための杖であり、真綿は地獄の針の山を歩くときに用いるため、麻はあの世とこの世をつなぐために、それぞれ口寄せに用いると語り、特別に目連の話を出していない。
 「目連救母伝説」が伝えられずに「アサヒ和歌神子伝説」だけを伝承している岩手県の一戸地方でも、イタコの彼岸の口寄せには、山桃3本を瓶に挿して麻糸をかけるといい、これを「ホトケ様の宿」と呼んでいる。
 一方で、山形県のオナカマと呼ばれる巫女も、口寄せのときに弓弭に麻を付けた。死者が男である場合は末弭に、女である場合は本弭に、死者が口寄せの依頼者より年齢が少ない場合は弓糸に、年齢が多い場合には弓本体に麻を結び付けたという。死者は死後、釈迦・観音・阿弥陀・勢至・阿閦に7年間仕えることによってホトケになるが、麻を付けると、それらを省くことができ、早く浄土へ近づくことができると伝えられている。また、口寄せのときには、瓶に入れた柳に麻糸をかけて机の上に置くところもある。
 秋田県のイチコと呼ばれる巫女の場合も、口寄せのときに、米3升の上に麻を置いておくというが、この麻は魔よけのためだという。
 以上のようなことを考えると、桃・柳・麻・真綿などの口寄せの道具は、大乗寺の縁起にあるような「目連救母伝説」に引き寄せられる以前から、東北一円にわたって用いられていた植物であり道具であったと思われる。
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この流れで岩手県遠野など東北に伝わる{おしらさま}も気になってきたのでこちらも調べて見たいと思います。以前私の私の演奏をみたかがた、おしらさまを思いだす。。といわれて何だろう?と、少し調べたことがあります。。^^

おしらさま

昔々ある所に貧しい百姓がいた。百姓は早くに妻をなくし、美しい娘と二人きりで暮らしていた。百姓の財産といえば、たった1頭の牡馬だけだった。美しい娘はこの馬を大層愛していた。馬の方も、百姓の言う事は少しも聞かなかったが、娘の言う事だけは素直に聞いた。
 娘は夜遅く床を抜け出して、厩に行って馬とともに眠り、朝早く、父に気付かれないうちに床に戻った。娘と馬が交わり、夫婦となるまでに、それほど時間はかからなかった。
 ある夜、父はこの事を知り、翌日娘に走らせずに馬を連れだし、桑の木に吊り下げて殺してしまった。
 その夜、馬のいないことに気付いた娘がその理由を父に質し、事実を知った。娘は驚き悲しんで桑の木の下に行き、死んでしまった馬の首にすがって泣いた。父は、娘がまだ馬に未練があるのを憎く思い、斧でもって馬の首を切り落とした。すると娘はたちまちその首に乗って天に昇って去ってしまった。オシラサマとは、この時よりなった神である。馬を吊り下げた桑の木の枝でその神の像を造り、祀るようになった。

 

おしらさまは弓弦とは直接関係ないかもです。。何かあるようで気になるので掲載しています^^

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以下

準備中です。。。