四方拝とは
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~正月、一年の一番初めに行われる宮中祭祀(きゅうちゅう・さいし)は、「四方拝(しほうはい)」と呼ばれます。これは数ある宮中祭祀の中でも、最も重要な祭祀の一つで、天皇陛下が御自ら行われることになっています。そのため、御代拝(ごだいはい)(代理人が祭祀を代行すること)が認められません。御代拝が認められないということは、御不例(ごふれい)(天皇の体調が優れないこと)などの場合、四方拝は中止となるわけです。(略)
四方拝は、元旦の早朝に天皇がその年の属星(ぞくしょう)、天と地、四方の神々、山陵(さんりょう)(天皇陵)を拝み、年の災いを祓い、豊作を願う儀式で、飛鳥時代に始まり、平安時代に正月の祭祀として定着してから、現在まで続けられています。
明治維新までは、皇居が京都にありましたので、禁裏御所(きんり・ごしょ)(京都御所のこと)の清涼殿(せいりょうでん)の東庭で行われました。東庭には、次のように御座(ござ)が作られます。畳で三つの座が設けられます。一つは属星を拝し、一つは天地四方の神々を拝し、一つは天皇陵を拝するための座です。三つの座の北側には燈台と机が置かれ、机にはお香と花が供されます。そして、それら取り囲むように屏風(びょうぶ)が張り巡らされます。(略)
天皇は大晦日の夜、御湯(みゆ)で玉体(ぎょくたい)(天皇の身体)を清められ、黄櫨染御袍で出御されます。御座に着座された天皇は、御笏(みしゃく)(「笏」とは、よく神主が手に持つ白木の板)をおとりになり、北に向かい、新しい年の属星の名字を七回唱えられます(天皇の生まれ年の属星という説もある)。
北斗七星の七つの星にはそれぞれ、年の干支(えと)が割り当てられています。その表は次に示すとおりです。例えば、平成二十年は子年(ねずみどし)ですから、今年の属星は「貪狼星(そんろうせい)」ということになります。
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①貪狼星(どんろうせい)(子年)
②巨門星(こもんせい)(丑年、亥年)
③禄存星(ろくそんせい)(寅年、戌年)
④文曲星(ぶんきょく)(卯年、酉年)
⑤廉貞星(れんていせい)(辰年、申年)
⑥武曲星(ぶきょくせい)(巳年、未年)
⑦破軍星(はぐんせい)(午年)
次に再拝(さいはい)(深く拝む動作を二回繰り返すこと)に続けて、呪文が唱えられます。『江家次第』によると、その呪文は次のようなものです。
賊冦之中過度我身、
毒魔之中過度我身、
毒氣之中過度我身、
毀厄之中過度我身、
五急六害之中過度我身、
五兵六舌之中過度我身、
厭魅之中過度我身、
萬病除癒、所欲随心、急急如律令。
天皇以外、この呪文を唱える必要はないため、ここでは敢えて読み方を記さないことにします。四方拝は宮中の秘儀中の秘儀ですから、呪文の内容が古文書に記され、それが公開されていること自体が驚くべきことなのです。
さて、文中に何度も登場する「過度(かど)」とは、「安全に守ってもらう」という意味で、たとえば最初の「賊冦之中過度我身」は、「賊冦(ぞくこう)のなか、わが身を過度せよ」という意味になります。
「急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)」というのは、よく漫画や映画などで、陰陽師・安倍晴明(あべの・せいめい)が唱える呪文なので、耳にしたことがある人もいることでしょう。
これは陰陽道の呪文で、強いて訳すと「至急に掟(おきて)の如く振る舞え」というような意味になりますが、すでにその意味は失われ、ひとつの呪文となっていると考えられます。
続けて、天皇は北に向かって天を拝され、次に北西(一説によると西)に向かって地を再拝され、東、南、西、北の順に、それぞれの方角を再拝されます。
そして最後に歴代天皇が葬られている山陵(天皇陵)を、再拝を二回重ねる、両段再拝(りょうだんさいはい)(「四度拝」ともいう)という作法によって、それぞれ拝され、儀式が終わります。
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↑http://www.fujitv.co.jp/takeshi/takeshi/column/koshitsu/koshitsu88.html
竹田恒泰さんのサイトより一部引用させて頂きました
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「黄櫨染御袍」と京都・広隆寺の聖徳太子像について
●http://www.iz2.or.jp/fukushoku/f_disp.php?page_no=0000165
天皇が皇室祭儀の恒例臨時を通じて最も多く用いられる御装束で、色は黄櫨染(こうろせん)。桐、竹、鳳凰、麒麟の文様がある。嵯峨天皇弘仁11年2月に定められたもので、即位礼には孝明天皇の御代まで礼服(らいふく)として袞冕(こんべん)十二章の御服を御用いになっていたが、明治天皇の時より黄櫨染御袍を御即位礼にお用いになることとなった。
●http://kyotocf.com/matsuri/hitaki-kouryuji/
~~広隆寺・聖徳太子御火焚祭~~毎年11月22日
年に唯一度 非公開の本堂上宮王院(じょうきゅうおういん)太子殿が
一日公開され、黄櫨染(こうろぜん)の御袍(ごぼう)を纏(まと)った
本尊・秘仏聖徳太子立像(1120年作)を見ることができる。
黄櫨染御袍は天皇が重要な儀式の際に着用する束帯装束で
天皇以外使用できない禁色とされていたものである。
四方拝の次は
交野のお話にはいっていきます
●桓武天皇と交野柏原・北辰(北極星&北斗七星)祭祀伝承
785年・桓武天皇は「交野柏原」で郊祀壇を設け、日本で初の北辰祭祀(天皇天帝・天神を祀る)国家的儀式をされたような伝承・記録が残っています。祭天は、その後も787年(廷暦6年)、856竿(斉衡3)にも交野柏原で行なわれました。
~~~~~~~~この交野柏原の場所は諸説あります~~~~~~~~~
●現在の枚方・片鉾地区の杉ケ本神社南側、一本松の古木があった所
●継体天皇樟葉宮の交野天神社
(下の映像・木内鶴彦さんのお話ではここが北極星ポイントにあたり
桓武天皇は中国的祖先祭祀とし、父である光仁天皇を「天神」に見立てた)
●星田妙見宮の妙見山
(ここから冬至の日に太陽を拝むとニギハヤヒ降臨伝承タケルガ峰から太陽が昇る・七曜星降臨の北辰祭祀の霊場)
●百済寺跡の近辺では?(私の説!笑^^)
このあたりから冬至の日に太陽を拝むと交野山から太陽が昇る。
交野山(機物神社ご神体)は、古代では北極星(ベガ・織姫)にあたる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~↓ちなみにこちらは交野山頂です^^!!機物神社(織姫)のご神体で360度み大阪奈良京都~晴れたら神戸徳島三重滋賀、、など絶景です。妙見山にも空海ほ星降り伝説由縁の織女石があります♪
桓武天皇(嵯峨天皇)の交野へ狩猟・行幸の記録
交野柏原に郊祀壇を築き天神を祀る(11月)↑
http://murata35.chicappa.jp/shuhenkaido/katanogahara01/index.htm
こちらにも詳しく掲載されています。(天神崇敬の実践地)
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下記の映像にも、交野が原歴史ミステリーのことが詳しく解説されています
ぜひゆっくりご覧くださいね♬
平成28年7月23日
星田会館にて「降星伝説と交野ヶ原」
交野枚方が北斗七星・北極星で、上賀茂神社がシリウス
貴船神社がカノープス(不老不死)の星の壮大な地上絵になっている話もあります。
宇宙(そら)の記憶
彗星捜索家「木内 鶴彦」氏が推理する
「交野が原」の壮大な歴史ミステリー
http://murata35.chicappa.jp/soranokioku/index.htm
(↑こちらに詳しく書かれています)
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●交野天神社の詳細はこちら。
http://kamnavi.jp/en/kawati/katanote.htm
(神奈備より)
交野天神社の地図はココをクリックしてください
明治天皇の父・孝明天皇までお着物。確か中国では北斗七星とベガが描かれていたように思います。