④十種神宝祝詞と哮峯(いかるが・たけるがみね)

交野市の星のブランコ近辺にある哮峯です↑

 

この傍には星田の妙見山から遷されたという

妙見菩薩の日月星石碑が建てられています↓

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大嘗祭や新嘗祭・天皇即位などで、毎年11月22日に(石上神宮や宮中で唱えられる)十種神宝祝詞について掲載します。タイプの違う2種類の祝詞写真と、1種類の祝詞を掲載しています。

私自身は、この祝詞のポイント(ニギハヤヒ天孫降臨地と、そこから天理市のどこに到着されたかにずっと導かれてきています。その上で、歴史の真実に合っている合っていないに関わらず、次の⑤では交野市近辺に残っている伝承を書いていきたいと思います。

十種祓詞)より

高天原に神留り坐す 皇親神漏岐神漏美の命以ちて 皇神等の鋳顕はし給ふ 十種の瑞宝を饒速日命に授け給ひ 天つ御祖神は言誨へ詔り給はく 汝命この瑞宝を以ちて 豊葦原の中国に天降り坐して 御倉棚に鎮め置きて 蒼生の病疾の事あらば この十種の瑞宝を以ちて 一二三四五六七八九十と唱へつつ 布瑠部由良由良と布瑠部 かく為しては死人も生反らむと 言誨へ給ひし随まに 饒速日命は天磐船に乗りて 河内国の河上の哮峯に天降り坐し給ひしを その後大和国山辺郡布留の高庭なる 石上神宮に遷し鎮め斎き奉り 代代其が瑞宝の御教言を蒼生の為に 布瑠部の神辞と仕へ奉れり 故この瑞宝とは 瀛津鏡 辺津鏡 八握剣 生玉 足玉 死反玉 道反玉 蛇比礼 蜂比礼 品品物比礼の十種を 布留御魂神と尊み敬まひ斎き奉ることの由縁を 平けく安らけく聞こし食して 蒼生の上に罹れる災害また諸諸の病疾をも 布留比除け祓ひ却り給ひ 寿命長く五十橿八桑枝の如く立栄えしめ 常磐に堅磐に守り幸へ給へと 恐み恐みも白す

 

こちらではニギハヤヒが十種神宝をもって哮峯から天理市・桃尾の山麓に遷されたとなっています。祝詞集の持ち主曰く桃(排)という字は印刷ミスだとか。。^^!(真実は未知ですが)良くもわるくも祝詞はとても重要な秘伝だと思っています。

 

 

一方こちらでは哮峯から石上神宮に遷された書いています。この祝詞は明治天皇御手製と添えられていた記憶があるのでその時代に、山(磐座)から町の生活・信仰になっていき本当に遷宮のような御霊遷しがあり、祝詞内容もまたそれに合わせて自然と改正されたものかなとも感じています。

 

そしてまるでその証拠を見せてくれるかのように、当時の神仏・宗教発生の流れ、鎮魂・祭祀の世界へ、私はどんどん導かれていったのですが、それはまた次の機会に書きたいと思います。

 

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矢田坐久志玉比古神社(やたにますくしたまひこじんじゃ )御守

 

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麻炭のパウダーを鍋で煮て、膠とヘンプオイル少々を混ぜて墨汁を手作りして

麻高知和紙(大麻&楮ミック紙)に十種神宝図を描きました

 

 

 

上と同じ麻墨汁を作り、即興描きしたものに、龍神祝詞と布留の言葉を印刷しました。

 

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これはオマケですが、安倍晴明神社のお守り&護符の中身も一二三四五六七八九十・布留部由良で、やはりとても大切な祝詞のようです。(不思議なことが起こり確認させて頂いたのですが、見た時はとても驚きました。。)