饒速日墳墓続編

https://enkieden.exblog.jp/23504079/

先日のニギハヤヒ墳墓への道順の件に続いて今日は、その伝承が詳しくかかれているサイトをリンクさせていただきます。

 

内容を一部転載させて頂きます。

 

先代旧事本紀によると、
 ニギハヤヒの名は「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)」、または「饒速日命」と云う。亦の名を「胆杵磯丹杵穂命(いきいそにきほのみこと)」と云う。
 饒速日命は天の磐船に乗り、河内国の川上の哮峰(いかるがのみね)に天降った。更に、大倭(やまと)国の鳥見(とみ)の白庭山(しらにわやま)へ遷った。
 天の磐船に乗り、大虚空(おおぞら)を駆け巡り、この地を巡り見て天降られ、「虚空(そら)見つ日本(やまと)の国」と云われるのは、このことである。
 饒速日尊が亡くなり、まだ遺体が天に昇っていないとき、高皇産霊尊が速飄神(はやかぜのかみ)にご命令して仰せられた。「我が御子である饒速日尊を、葦原の中国に遣わした。しかし、疑わしく思うところがある。お前は天降って調べ、報告するように」。
 速飄命は天降って、饒速日尊が亡くなっているのを見た。そこで天に帰り昇って復命した。「神の御子は、既に亡くなっています」。
 高皇産霊尊は哀れと思われて、速飄命を遣わし、饒速日尊の遺体を天に昇らせ、七日七夜葬儀の遊楽をし、悲しまれ、天上で葬った。
 饒速日尊の妻の御炊屋姫は「天の羽羽弓・羽羽矢、神衣(かんみそ)・帯・手貫(たまき)」を登美の白庭邑に埋葬して、これを饒速日命の墓とした。

 

 

ということです^^関東の友人からもこちらと同じ資料をコピーして送って頂いて

そういえばこんな内容だったのだな。。。なんて改めて感慨深く拝見しています。

 

 

 

わ!!気づけば饒速日命墳墓で出てくるようになってます^^