昨日のお話の続きになりますが、こちらが交野が原、日本遺産プロジェクトが立ち上がった理由にも大きく繋がってきます。とっても面白いのでぜひご覧ください。難しいですかね。。?(;´∀`)
有名な斬鉄剣も交野におちたこちらの隕石からできたのでは??みたいな話も耳にするので
ロマンでいっぱいです^^改行が変ですが、一部転載しますね
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「交野ヶ原と星田妙見宮の北辰信仰」 講演の概要
1.交野ヶ原と星田妙見宮の北辰信仰
・交野ヶ原のキーワードは
物部氏、北辰、北斗七星、羽衣伝説、七夕
・妙見山は中心の登龍の滝から外へえぐられた馬蹄形になっている
816年7月23日に、北斗七星の方向から来たペルセウス流星群の隕石が正体
・物部氏が最高神として祀る「豊受大神」は、一族の祖先神、天之御中主神
一神、
また北斗八星から降臨した天女でもあると云われている
・星田妙見宮には、織女石の裏側に豊臣稲荷社があり、ここに祀られる「保食神」は
豊受大神と同一神であり、この社は妙見山頂上に祀られている
・星田妙見宮の御祭神 - 妙見大菩薩 またの名を「天之御中主神」またの名を
「太上神仙鎮宅霊符神」といい、それぞれ仏教、神道、道教における北辰を指す
御神体は、織女石(たなばたせき)。御神紋は、北斗八星。織女とは七夕の織姫のことで
あると同時に、北辰の神格を指しま
・北辰信仰は宗教や国境を超えた、最も古い形の信仰
2.星田妙見宮と七夕
・空海がとなえた秘法により、天上から北斗七星が降臨し、星田の里の三か所に
分かれて落ちた。 星田妙見宮、光林寺、星の森
・天の川を挟んで等距離に織姫と彦星が浮かび上がる 妙見宮と天田神社
・夜空に輝く北斗七星。織姫と彦星、天の川。桓武天皇が天を仰ぎ、地に描いた理想郷。
その想いは今も交野ヶ原に、静かに息づいております。
3.移り変わる北辰信仰
・北辰の変化 北辰の場所は26,000年周期で巡つている
・北辰信仰の変化 宇宙樹・北辰信仰 西王母・東王父 羽衣伝説→七夕伝説
・北辰を祀る妙見宮の神紋が「北斗八星」であること、「羽衣伝説」が交野ヶ原の天の川にも
あることから、妙見宮は羽衣伝説の原型を伝えていることが分かる。
4.世界樹信仰から七夕へ
・世界樹(この世の全てを生みだし、私たち人間を生みだし、世界を支えている大樹)と
北辰を仰ぎ、感謝する → 西王母・東王父 → 羽衣伝説 → 七夕
・毎年七月七日は、天と地が交わる日。
それは天の恩恵を忘れやすい人間を戒める日であつた。
それが万物を育む水へ感謝し、人間のいのちを守つてくれる衣服へ感謝し、
私たちの生活の基盤を作つて下さつたご先祖きまへ感謝し、
天と地の間で生かされていることへ感謝する日となる。
様々な形でなされた天の恵みへの感謝。
その背景には、常に北辰の存在があった。
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